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NW-SF宣言

※ニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクション・サイト、speculativejapanに転載されたものですが、同サイトがクラッキング被害で消滅したため、オリジナルより改めて、本サイトに再掲するものです。

「NW-SF」Vol.1、NW-SF社、1970 

NW=No Wonder
NW=New World
NW=New Wave
SF=Speculative Fiction

NW-SF宣言
 山野浩一

 SFが《Science Fiction》から《Speculative Fiction》に名を変えたのは最近である。名を変えたとはいっても、決して《Science Ficiton》が消滅したのではなく、むしろ現在でも《Speculative Ficiton》を大部分の人々がSFと信じていることは否めない事実である。
 しかし、《Speculative Fiction》の名が生まれる前から、私がSFに求めてきたものは《Speculative Ficiton》な一面であった。そして確かに、一部のSF作品は《Speculative Ficiton》として優れたものであった。スタニスラフス・レム、アーサー・C・クラーク、フィリップ・K・ディック、ロバート・シェクレィ、らの作品にある自由な小説世界と、作者の想像力の展開には、読者の思考世界を刺激するものがあった。それでも、大部分のSFはそうではない。小説世界だけを拡大しても、そこに展開されるものは現実主義的な日常世界や、楽天的なヒューマニズムでしかなかったのである。
 私はこうしたことに、長い間不満といらだちを感じていた。そんな中で、ブライアン・オールディスや、J・G・バラードといった優れた作家の登場と、彼等による「ニューワールド」誌の発刊はどれだけ喜ぶべきできごとであったか計り知れないものがある。
 「ニューワールド」誌はSFを《Speculative Ficiton》と名付け、真に私の期待した作品を開拓し始めた。SF界はニューワールド派を「ニューウェーヴ」と呼んだが、私もここに「ニューワールド」と「ニューウェーヴ」からとったNW-SFという名の雑誌を発刊する決心をした。NWには、かつて「ワンダー」と呼ばれたアイデア時代のSFへの反発の意味での「ノーワンダー」という意味も含まれている。
 おそらく「NW-SF」は当分赤字を続けるだろうし、得るために最大公約数的な読者にサービスするつもりもない。赤字を重ねてもできる限り「NW-SF」を続けていくつもりである。特に現在の日本に「NW-SF」が必要だと信じるからである。
 現在の日本では、思想や論理のもつ重要な意味が見失われつつあり、政治は力関係のバランスの上に成立し、新聞報道は読者の反応によって作られ、あらゆる文化は情況的に生まれていく。人々は主体的な自己世界の代わりに現実への対応性だけを持ち、マスプロされた情報を片っ端から受け入れながら楽天的な日常生活を送っているのである。
 SFは一面でこういった、ピカートのいう「アトム化時代」への順応力を持っており、巨大な情報メーカーとなり得るものである。そして、疑いもなく一部のSFはそうした役割を果そうとしている。「アポロ計画」や「万国博」とSFの結びつき、権力者たちの考える"素晴らしい未来"を立派に描いてみせるSF、特に許せないのは「未来学」などというものがSFジャンルの成果として堂々とまかり通り、そんなものに飛びつく一部SF作家がいるということだ。
 少なくとも未来は、このおろかな現実ののちに登場してはならないものであり、現在の貧しい思考の中で計画されてはならないものである。一体、誰がこの現実以上に未来まで管理しようとするのだ!
 SFは一方では「アトム化時代」に順応するだけでなく、情報の先取りをしながら「未来学」という騒音をまき散らしつつある。私達はこうした「騒音としてのSF」に対し反対すると共に、全ての管理に対しても反対しなければならない。そして、それができるのもまたSFである。
 長い歴史の間に、人々はいつも自分の中に現実以外のもう一つの世界を持ち続けていた。そのもう一つの世界を現出させることができるのが小説でや、音楽や、或いは狂気の行為であった。おしてSFの拡大世界は、最も自由にそうした世界を展開できるのである。
 もう一つの世界、人々の外にある現実ではなく、騒音によって破壊されていない人々の内にある世界、それこそ本当に"世界"と呼ぶべきものである。その"世界"をアトム化から、或いは管理から救出するために、SF――NW-SFが必要なのである。
 SFは想像力世界を殆ど全面的に受け入れることができるだけの広大な小説世界を持っている。しかし、その大部分は空白のままである。
 NW-SFは、多くの人々の思考世界を表現していきたい。自由な小説として、思考世界の小説としてのSFを開拓するために、NW-SFを開放していきたいと考える。
 バラードが「SFがH・G・ウェルズに始ったのは不幸であった」と述べているように、これ迄のSFの作品体系に重要な意味はない。あるとすれば、一部の作品にある思考世界の論理だけである。むしろNW-SFは、SFに可能なより広大な世界と接触していかねばならない。ブルトンによるシュールレアリスムの理想も、H・G・ウェルズの世界観も、フリッシュやバローズの現代小説も、全て新しい思考世界への論理として重要な意味を持っているだろう。しかし、それは小説体系に於いてではなく、現代人の内的世界とのかかわりに於いてである。
 おそらくNW-SF誌には、「ニューワールド」誌と同じく、従来のSF読者には不満な作品や評論ばかりが掲載されるであろう。SFを「科学小説」と考えたり、或いはSFにアイデアのエンターテインメントを求めたり、また、大冒険活劇を求めたりする読者の気持は満たされないものかも知れない。少なくとも従来の観念でいう「SF」は永久に掲載されない可能性は大いにある。
 しかし、未だ少数派ながら、私は、これこそSFだといいたい。SFは《Speculative Fiction》――つまり、思考世界の小説だと。
 NW-SFは、おそらく内容的に行きづまることはないだろう。なぜなら、常に人々の内的世界を表現するものは必要だからだ。従って、NW-SFは長く続けて行かねばらなない。そして、より新しい思考のために、NW-SFは常に若い世代に受け継がれていかねばならないだろう。私自身、NW-SFが無事続く見通しのついたところで身を引くつもりである。
 第一号は試みとして出版してみる予定だったが、早くも多くの優れた原稿が集った。私はこの一号の内容に大いに満足しており、一号以後により優れた内容へ発展させていくことができると確信できた。少くとも、私と同じ考えでSFをみている読者には満足できる雑誌となるであろうと思う。
 本誌創刊までに、筒井康隆氏、伊藤実夫氏、森優氏ら多くの人々にお世話になった。早くも寄せられた多くの奨励の手紙と共に、ここで謝意を表しておきたい。

【注】
 本文の「伊藤実夫氏」は「伊藤典夫氏」のことと思われます(生前の山野浩一氏に確認済み)。「フリッシュ」はマックス・フリッシュ。「ニューワールド」はNew Worlds誌のことを指します。
 

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